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新幹線内で泣きやまない子供に舌打ちは酷いことか? [生活]

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新幹線内で赤ちゃんが泣き止まず、それに舌打ちすることが議論が巻き起こっています。


新幹線だけに限らず、本来静かにしていることが期待されている場所で、赤ちゃんの泣き声が響き続けるのは確かに迷惑なことではあります。会合とか、場合によってはコンサートなど。。。わたしもコンサートで泣き声はやめてほしいとも思います。


しかしまず考えなければならないのはその場所では何が許されているのかという点です。赤ちゃんの同乗や入場が禁止されていないのであれば、新幹線であろうと、コンサートであろうとそこに子供を連れることは批判されることではないでしょう。ですから、法律や規則で禁じられていないことを個人が禁じたり批判することは出来ないはずです。


ただこれは法律や規則上の事柄だけが関係した問題ではありません。社会では法律では禁じられていないことでも一般常識として守らなければならない事柄というものがあります。この一般常識というものがくせ者で、そのような常識は、国によって、地域によって、場合によっては今いるその空間によって、そこに居合わせる人々の質や世代によって変化するものです。ですから一般常識を議論する場合には自分の持ち合わせている常識をその場にいる人たちに強要しないように注意しなしなければならないでしょう。一般常識というものは自分個人ではなく人々と共有できなければならないからです。


では、そのような変化する常識の中でどのように自分も他の人もストレスを経験しないように振る舞うことが出来るでしょうか?


他の人から絶対悪く思われたくないなら、一番安全な方法をとるしかありません。つまり今回の新幹線の件なら、子供が泣いて迷惑する人がいる可能性があり、自分が他の人の迷惑している顔を見たくないなら他の交通手段を利用するしかありません。法律や規則上は許されていてもそれがその場の一般常識であるならストレスを経験しないためにはそうするしかないのです。


このことは逆の立場、今回の場合、泣き止まない子供に舌打ちした人にも当てはまります。新幹線で舌打ちしてはいけないという法律や規則はないでしょうが、そのような態度を快く思わない人たちがいることも事実です。人の感覚はそれぞれ違いますから、舌打ちしたいならそれを快く受けとめてくれる人たちばかりの空間を探さなければならないでしょう。舌打ちしなくてもいいように赤子が同乗するような交通機関の利用を避けることも必要になるでしょう。


これはちょっと極端な対応と思うかもしれませんが、他人から絶対悪く思われたくないなら一番安全な方法をとるしかありません。たとえ少数でも快く思わない人がいる可能性を考えるのは大切なことです。


ただ、多くの人たちが考えるように、このようにすべての人に迷惑をかけないように振る舞うことは現実的ではありません。子供を連れて移動する手段が、新幹線しかなく、十分注意していたにもかかわらず子供が泣き出してしまったということもあるでしょう。あるいはストレスを経験しないように普段は公共機関は利用しないようにしているものの、その時はやむ得ない事情で新幹線を利用し、仕事のことで頭がいっぱいでイライラしていたので泣き声を聞いて舌打ちしてしまったのかもしれません。


このように私たちは様々な状況に置かれた様々な事情を抱えた人たちで社会を構成しているのです。ですから、泣き声や舌打ちが聞こえても過敏に反応しないようにすることは大切ですよね。赤子が泣くのも大人が舌打ちするのも一つの感情の表現です。赤ちゃんは何か不満があるので満たしてほしくて泣くのでしょう。同じように大人も納得いかないことに対する不満を感じていることの表われとして舌打ちするのです。生きている証拠です。過敏に反応しないことです。



このような議論の時に注意しないといけないのは自分の常識を自分と異なる考えの人たちに押し付け、自分に同調する人たちの支持を集め、他を威圧したり攻撃したりすることです。たとえ自分の感覚が100%正しくてもそのやり方は建設的ではありません。最終的に天下をとって独裁者にでもなるつもりなら話は別ですが、そうでないのであればお互いの意思や尊厳を認め合うことは大切ですよね。


またこれは私たちの振る舞いにも当てはまります。子供の泣き声や大人の舌打ちに過敏に反応しないようにと述べましたが、だからといって当事者たちは我が物顔のように立ち振る舞えるという意味ではありません。子供を連れている親は泣き声だけに限らず、他の人の迷惑にならないように最大限の配慮を払うべきでしょう。『子供は泣くのが仕事だ』というのは周囲の配慮ある言葉であって、親が周囲に要求することではありません。周囲の人が配慮を払ってくれているなら、親も周囲に最大限の配慮を払いましょう。舌打ちする大人もです。舌打ちも子供の泣き声も感情の表れだと述べましたが、だからといって大人と子供は同じではありません。仕事上のストレスを経験されているのかもしれませんが、様々な苦境のもとでも自分を制することが出来る大人である故に子供には与えられていない特権や社会的地位が大人には与えられているのです。ではその特権や社会的地位にふさわしい尊厳ある振る舞いを心がけてください。


このように、社会における振る舞いや態度、またそれに対する肯定否定の意見や批判があるのは人間が生きていることの証拠です。間違いなく活きています。死んではいません。ただ健康的に生きているかは別問題です。社会で生じている事柄を考えると健康的に生きているとは思えないようにも思います。病的というか。。。病的でないとすれば、幼いというか。。。人類の歴史を考えると幼いとは言えないはずですが、どんどん若返っているというか、幼くなっていっているように思います。


この新幹線舌打ち『事件』やそれと類似の問題も人々が自己本位ではなく、他の人のことをどれだけ考えられるかが解決になると思います。今年2014年は『利他的』が大人から模範を示して子供にまで浸透して、温かい人間関係をおくれることを願います。












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