SSブログ

生田斗真が『軍師官兵衛』で演じたキリシタン大名高山右近とは? [芸能]

スポンサーリンク



人気俳優・生田斗真君が大河ドラマ『軍師官兵衛』に出演して高山右近を演じているようですね。生田斗真君の人気で『軍師官兵衛』が盛り上がるといいですね。この『軍師官兵衛』で登場する高山右近はキリシタン大名として有名ですが、どのような大名だったのでしょうか?


高山右近は1552年(天文21年)に高山友照の嫡男として大和国宇陀郡の沢城(現在の奈良県宇陀市榛原)に産まれたようです。父の高山友照が奈良で琵琶法師だったイエズス会員ロレンソ了斎の話を聞いて感銘を受け、洗礼を受け、家族も信者にし、その結果右近も12歳で洗礼を受けたようです。


右近は暗闇での戦いにおいて誤って家臣の一人から斬りつけられ首を半分ほども切断するという大怪我を負ってしまったようです。およそ助かりそうにない傷ですが奇跡的に助かったことで一層キリスト教に傾倒して行ったといわれています。もっとも昔のこういった話は誇張されている場合が多いですから、首を半分も切断というのは誇張かもしれませんね。


1578年(天正6年)高山右近が従っていた荒木村重が織田信長に反旗を翻したことで右近は荒木村重を説得するもののかなわず、結果的に信長側に出頭。この右近の離脱により荒木勢は敗北し、その功績を信長に認められ高槻城主としての立場を再び得、石高も2万石から4万石の加増されたようです。

スポンサーリンク


本能寺の変で織田信長が明智光秀に打たれた後は豊臣秀吉に使え数々の戦闘に参加しています。また人徳もあったようで牧村政治、蒲生氏郷、黒田孝高、細川忠興、前田利家などと親交が深かったようです。そのうち牧村政治、蒲生氏郷、黒田孝高は実際にキリシタンになったようで、他の大名も洗礼は受けなかったものの、キリシタンには好意的だったようです。


しかし、豊臣秀吉は後にバテレン追放令を施行し、キリシタン大名は窮地に追い込まれます。高山右近は大名である立場よりもキリシタンであることを選び、領地財産を捨てて逃亡生活を送り、親しかった前田利家の加賀藩内に領地を与えられ生活したようです。その後は追放のみでありながら加賀藩に従軍して小田原征伐に赴いたり、加賀藩の相談役として働いています。


徳川幕府がキリシタン国外追放令を施行したことによって高山右近は加賀を去りマニラに行ったようです。キリスト教を広めた大名という宣教者たちの報告によって有名になっていた高山右近は大歓迎を受けたようですが、旅の疲れや馴れない気候のせいで病気になり1615年2月4日(慶長19年)に64歳で生涯を閉じたようです。


このような歴史の記述を調査すると当時、周囲と違う異国の信仰を持つという発想を大名たちがもっていたことに少し驚きましたがそれとともに、どうしてキリシタンになってからも戦に出かけ殺りくを続けられたのか疑問にも感じます。信仰と戦は矛盾しなかったのでしょうかね?また、高山右近はキリシタンには寛容だったようですが、領地内の神道や仏教の信者には不寛容で迫害までしたようです。それはいけませんね。


ともあれ、生田斗真君が高山右近として『軍師官兵衛』に出演して視聴率が少し上がったようです。これをネット上では『ウコンの力』と上手いことを言っていましたね。右近って名前カッコいいですよね。時代劇ぽい。今後も生田斗真君登場によって『軍師官兵衛』の視聴率が上がるといいですね。
スポンサーリンク




旅行なら楽天トラベル


お買い物なら楽天市場








高山右近 キリシタン大名への新視点

高山右近 キリシタン大名への新視点

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 宮帯出版社
  • 発売日: 2014/03/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。